第1章:【現実直視】なぜあなたの財布にはお金がないのか?
私が本格的に投資を始めたのは2022年だった。
現在の金融資産は約3,600万円。不動産を含めると、総資産は7,000万円を超えている。
こう書くと、いかにも昔から計画的に、順調に資産形成を続けてきたエリート人間に見えるかもしれない。
だが現実は、これっぽっちもスマートなものではなかった。
私は金融業界の人間でもなければ、特別にお金の勉強をしてきたわけでもない。むしろ40代になるまで、投資なんていう言葉とはほぼ無縁の人生を送ってきた。そんな私がなぜ投資を始め、なぜこれほどの資産を築くに至ったのか。その話を少ししてみたいと思う。
私が大学を卒業した頃は、後に「就職氷河期」と呼ばれる暗黒の時代だった。
何社受けたか、正直もう覚えてもいない。だが、50社以上には間違いなくエントリーシートを送り、契約書にサインする日を夢見て必死に就活をしていた。それだけ必死に応募しても、面接まで進めるのはわずか数社。精神的にも肉体的にも完全に限界を迎えており、「もうどこでもいいから、とにかく受かってくれ」という悲壮感に満ちた状態だった。
それでも何とか内定をもらい、社会人になった。
だが、そこからがまた本当の地獄の始まりだった。
大学時代に仲の良かった友人たちも、それぞれ過酷な環境で社会に揉まれていた。
不動産会社に入った友人は、夜な夜な街中の電信柱に物件広告を貼り付ける仕事をしていた。許可のない場所への貼り付けは禁止されていたらしく、警察に見つかって本気で追われることもあったそうだ。
システムエンジニア(SE)になった別の友人は、毎日朝から晩まで、それこそ死んだ魚の目で働き続けた。最後に会った時、彼は「ベンツが買えるくらい貯金はあるけど、使う時間が1ミリもないわ」と自嘲気味に笑っていた。その後、彼は精神を病み、私たちの前から音信不通になった。
そして私もまた、彼らとは別の形で、社会というものの容赦ない厳しさを知ることになる。
パチンコ関連企業に入社した私は、入社後しばらくして、中途社員が突然退職した穴埋めを任された。
そこからの日常は、朝9時に出勤し、帰宅は朝の4時(28時)。そんな生活が1年近く続いた。
もちろん、残業代なんてまともに出るわけがない。何時間働こうが、深夜まで現場に残り続けようが、「みなし残業代」として一律30,000円が支給されるだけ。今の基準なら一発でブラック企業と呼ばれる環境だろう。だが、当時はそれが普通だったし、誰も文句を言ずに耐えていた。
この話を、ただの苦労話や自慢話として書きたいわけではない。むしろ、資産形成を語る上で極めて重要なマインドが、ここから始まる。
当時の私は、お金の仕組みについて、本当に何も知らなかった。
その頃、会社には生保の営業の人が頻繁に出入りしていた。私は面倒くさかったのもあり、最初は断り続けていた。だが、ある日上司から会議室に呼び出され、「なぜお前は話も聞かないんだ。社会人としてどうなんだ」と本気で怒られた。会社と上司の無言の圧力。何度も営業を受け、最終的に断ることに疲れ果て、根負けして契約書のサインに判を押した。
加入したのは、独身の20代前半の身にはまったく不釣り合いな「死亡保障付きの生命保険」だった。
月額の保険料は約1万円。社会人は万一に備えるべきだ、という営業マンの言葉を鵜呑みにした。今思えば、養うべき家族もいない独身の若者に、自分が死んだ後の5,000万円の死亡保障なんて必要だったのか、疑問と後悔しかない。自分が死んだ後に5,000万円ももらって一体どうするんだ? 派手な祭りでも開催するつもりだったのか。
だが、当時は考える気力すら奪われていた。毎月自動的に口座から引き落とされる保険料に、私の感覚は次第に麻痺していった。
その後、別の営業マンに勧められるがまま、個人年金、養老保険と次々に加入していった。
気付けば、毎月の保険料は5万円近くにまで膨れ上がっていた。
手取りはわずか20万円程度。家賃は10万円。そこから保険料に5万円が引かれる。手元に残るのは、わずか5万円。今振り返っても、よくあの金額で普通の社会人生活ができていたと思う。おそらく、年に数回のボーナスで日々の赤字を必死に補填していたのだろう。
そんな「搾取されていることすら気づかない生活」を、私は10年以上も続けた。出来上がったのは、資産形成とは程遠い、いわゆるマス層の見本のような人間だった。
第2章:【生活編】水菜の鍋と自責のマインド
普通なら、こんな過酷な環境でずっと作業をしていれば、先に精神を病んで潰れていったあの友人のようになっていたかもしれない。だが、私には現場があった。15時から深夜4時近くまで、ずっと外に出てパチンコ台の工事業務や、機器の取り付け、説明をする日々。自分の手を使ってモノを動かし、現場の人間に説明する作業は、純粋に楽しかったのだ。
もともと夜型のバイトをしていたこともあり、夜間労働自体はそこまで苦にならなかった。何より、職場の先輩たちが皆フレンドリーで、私のことを本当にかわいがってくれた。人間関係のストレスがゼロだったからこそ、私はこの異常な労働環境を、どこか麻痺した状態で受け入れていた。
周囲のほうがよっぽど冷静だった。
私の車に敷布団と掛け布団が積み込まれているのを見た父親は、我が子が「会社に寝泊まりしながら働いている」ことを察し、顔を曇らせてこう言った。
「鬼畜のような会社だね……。でも、とりあえず3年は頑張れ。3年頑張ったら辞めていいから」
今思えば、「鬼畜だと分かっているなら今すぐ辞辞職勧めろよ」と突っ込みを入れたくなるが(笑)、当時はそれが氷河期世代の親の、精一杯の「社会の生き抜き方」のアドバイスだったのだ。
精神的には余裕だった。自分はまだやれる、大丈夫だ、と本気で思っていた。
だが、人間の肉体は精神ほど器用に嘘をつけない。蓄積された疲労は、ある日突然、決定的な形で爆発した。
仕事中に突然、目の前が暗くなり、その場に崩れ落ちた。気がついた時は病院のベッドの上だった。急性過労による、2日間の強制入院。
せっかく入院保障のある保険に入っていたのだから請求しようとしたところ、病院から「退職証明書(退院証明書)」が必要だと言われた。保障額は1日5,000円。だが、その証明書の発行費用に1万円がかかるという。「何これ。保険をもらうために赤字になるじゃないか」と、強烈な矛盾に頭を抱えた。
「あぁ、これはさすがに働き方を考えないとな……」
病院の天井を見上げながら、私は生まれて初めて、自分の人生のレールを見つめ直した。自発的に会社に願い出て、肉体を酷使する現場職から、オフィスワークの内勤へと異動させてもらうことにした。
労働時間は劇的に減った。朝4時帰りの生活からは脱出できた。しかし、待っていたのは別の地獄だった。
移動先の内勤部署では、陰湿なパワハラとギスギスした空気が渦巻いていた。理不尽な怒号、存在を否定されるような言葉。今の時代なら、すぐに人事や労働基準監督署に駆け込む案件だろう。
だが、私たちは「代わりの人間はいくらでもいる」と言われ続けて育った氷河期世代だ。「このハラスメントは、仕事が満足にできない、至らない自分への罰なんだ。私が耐えればいいんだ」と、完全に間違ったマインドで理不尽を飲み込み、ただ耐え忍んでしまった。しかし皮肉なことに、そうやって「自責」に逃げて現実をやり過ごしているうちに、私を苦しめていた理不尽な上司や嫌な人間は、時が経つにつれて面白いように会社からほとんど消え去っていった。
30代中盤になった頃、さすがに「このままではまずい」と思い始めた。手取りが少しずつ、雀の涙ほどではあるが増えたこともあり、少しずつ貯金をするようになった。それでも、お金は大きく増えない。当時の資産は、貯金50万円。家なし、車なし、投資経験なし。そんな状態だった。
当時の私の食生活は、貧困そのものに見えたかもしれない。だが、そこには悲壮感など微塵もなかった。当時同棲(現在の妻と道道人生の始まりである)していた彼女と一緒に、毎日のように「水菜しか入っていない鍋」を食べていた。今振り返れば大して美味くもない鍋だったし、水菜を口に入れると噛むたびに泡みたいになって弾けるような、妙な食感の鍋だった。それでも、二人で囲んだあのチープな食卓は、今でも愛おしい大切な思い出だ。
月に一度だけ、二人で「牛角」に行くのが我が家の最大のイベントだった。現在の私から見れば、牛角はいつでも行ける普通のチェーン店だ。しかし、当時の私たちにとって、あの月一の焼肉は、今のどんな高級割烹よりも輝いて見えたし、言葉にできないほどの特別な贅沢感があった。
「お金がなくてかわいそうだ」「将来への絶望はなかったのか」と思うかもしれない。結論を言おう。絶望なんて、これっぽっちもなかった。
なぜなら、お金がない状態が私たちの「当たり前」だったからだ。お金がある豊かな未来の選択肢を知らない人間に、いま目の前にある貧しい現実を比較して絶望するような想像力など、湧き上がるはずがないのだ。知らないものは、欲しがりようがない。私たちはただ、その日その日を懸命に、それなりに楽しく生きていただけだった。
未来が見えない。 hungry(貪欲)になる隙すらない。でも、見えないからこそ、恐怖も絶望もなかったのだ。
第3章:【幽霊の正体】楽天ポイントから始まった、私の投資実践記
転機はコロナ禍だった。自宅で過ごす時間が増え、YouTubeを見る時間が増えた。最初は趣味の動画ばかり見ていたが、YouTubeのアルゴリズムによって、気付けば私の画面に「資産形成系」の動画が表示されるようになった。
「NISA」「オルカン」「S&P500」
画面の中で、見ず知らずのユーチューバーが淡々と数字を突きつけていた。知らない言葉ばかりだった。投資は怖い。私も本気でそう思っていた。私たち氷河期世代は、お金で失敗する人をたくさん見てきた。『ナニワ金融道』や『マネーの虎』のような番組を見て育ち、借金や破産に対する恐怖心が骨の髄まで染み込んでいたからだ。
それでも、「何かしなければいけない」という強い危機感だけはあった。そこで私は、おそるおそる楽天証券の口座を開設した。最初に買ったのはS&P500の投資信託だった。と言っても、現金を使うのがどうしても怖かったため、貯まっていた楽天ポイントで数千円分を買っただけだ。
翌日、画面を見ると少し値下がりしていた。たった数十円のマイナスだったが、当時の私は強烈なショックを受けた。「やっぱり投資なんて危険だ、都合のいい話なんてないんだ」と、すぐに殻に閉じこもろうとした。
だが翌年、放置していたそのポイント運用の投資信託は、私の知らぬ間に少しずつ増えていた。そこで私は、ある決定的な事実に気がつく。
「養老保険で毎月3万円払っていた時は何も感じなかったのに、この投資信託は、ただ置いておくだけで勝手に資産が増えている。あれ? これ、もしかして本気でお金が増える仕組みなんじゃないか?」
そう思い始めた私は、人生で最も大きな決断をすることになる。15年以上払い続け、人生の大部分を共に歩んできた「養老保険」の解約だった。
これまで支払ってきた総額を考えると、途中で解約するのは本当に怖かった。解約手続きの電話を入れた時、担当の保険営業マンのトーンは一変した。かつて「貯金代わりに最適ですよ!」と満面の笑みで加入を勧めてきた人間が、冷徹な声でこう言い放ったのだ。
「投資と保険はまったく違う商品です。投資の結果と比べるなんてナンセンスですよ」
「間違った解釈で解約して、もし明日あなたに万一のことがあったとき、私たちはもう一切あなたを助けられなくなりますが、本当にいいんですね?」
心臓がドクリと跳ねた。(確かに、10年以上も金を払ってきたのに、もし明日死んだらどうしよう……)という「想像の恐怖」が脳裏をよぎり、受話器を持つ手が手汗で滲んだ。
だが、私はその恐怖を振り切り、解約届の契約書にサインした。戻ってきたのは、養老保険だけで約200万円の現金。そして何より、毎月3万円の「固定支出の奴隷」から解放された。このキャッシュフローの改善は劇的だった。自分の人生のコントロール権を、ようやく日本の金融機関から奪い返した瞬間だった。
そしてなぜか私は、その200万円の大半を、米国株の「マイクロソフト(MSFT)」に投資した。今思えば、投資初心者がやるべきではない、完全な個別株への一点集中投資である。なぜそんな大胆なことをしたのか、自分でもよく分からない。だが結果的には、信じられないほど運が良かった。歴史的な円安も重なり、私が恐る恐る突っ込んだマイクロソフト株は、わずか半年ほどで320万円近くにまで大化けしたのだ。私はここで、完全に世界の見え方が変わった。
第4章:【資産爆発】インデックス×個別株×不動産投資のハイブリッド戦略
その後、残していた個人年金も後日すべて解約した。さらに毎月1万円近いキャッシュフローが改善し、気付けば手元資金は50万円から、500万円近くにまで膨れ上がっていた。
ここからは、自分なりに勉強を重ね、投資方針をブラッシュアップしていった。新NISAを活用し、インデックス投資と個別株を組み合わせる。米国株、日本株、高配当株、投資信託。完璧な戦略だったとは思わないが、思考停止せず、自分の頭で考えながら資産形成を続けた。
子どもが生まれた時も、世間の親たちが当たり前のように入る「学資保険」には1ミリも迷わずにNOを突きつけた。学資保険のシミュレーションを見れば一目瞭然だ。0歳から14歳まで毎月2万円をコツコツ積み立て、総支払額は334万円。それに対して18歳で受け取れる総額は400万円。14年間も大切な現金を拘束されて、増えるのはたったの66万円だ。
代わりに私は、ジュニアNISAを活用した。0歳で80万円、1歳で80万円、制度終了までに合計160万円だけをオルカン(全世界株式)に一括投資した。2026年現在、その子ども名義の口座はどうなっているか。たった数年で、160万円が「330万円」を超えている。学資保険が14年かけて出すはずだった利益を、我が子は物心つく前に遥かに追い抜いてしまった。
さらにお金の判断力が覚醒した私は、不動産投資の領域にも足を踏み入れた。契約書のサインに判を押すのは怖かったが、「自分のキャッシュをほぼ使わずに、銀行から数千万という大金を借りてレバレッジをかけられる唯一の投資」だと確信したからだ。当時の日本はコロナ禍の真っ只中。東京オリンピックはまさかの「無観客開催」となり、メディアや投資家たちは先行きを恐れて尻込みしていた。そのため、再開発予定エリアの物件が、信じられないような安値で市場に転がっていたのだ。
私は恐怖で足を止める市場を凝視し、こう逆張りした。「かつての代々木のように、過去にオリンピックの会場に選ばれ、インフラと大規模な再開発が入った土地の価値が上がらないわけがない。もしここが上がらないなら、もう日本という国自体が終わりだ。その時はその時。最便、売れなくても自分で住めばいいだけだ」
この確信のもと、恐怖に立ち向かってサインした不動産は、現在、私のポケットに毎月7万円程度の純キャッシュフロー(不労所得)を叩き込み続けてくれている。元々給与所得しかなかった私がハイブリットに所得を得られるようになったのだ
さらに2025年には、キオクシアへの投資が大きな追い風になり、金融資産は2,200万円を超えた。実はキオクシアのIPO(新規公開株)が話題になった当初、私は当選したにもかかわらず、ネット掲示板の「こんな株は大暴落する」という悲壮感に満ちたノイズにビビって、一度キャンセルするというダサい失敗をしている。何の考察の根拠もない、ただの煽り運転に負けたのだ。
しかしその後、トランプ関税ショックという意味不明な下げ相場で、株価がIPO価格の近くまで下がってきた。「誰もが怯えているこの歪みを買い叩く」と決め、1,600円に落ちた日に買う予定だったが、その日は仕事が忙しくて画面を見られず、翌日ストップ高になってしまい、結局2,000円で掴むことになった。完璧なタイミングではなかったが、それでも打席に立ってバットを振った結果、2026年現在、私の金融資産は約3,600万円まで増えることとなった。
第5章:【論理で殴る】お金の洗脳を解くパート
もちろん、「ただタイミングが良かっただけだ」「運が良かっただけだ」と思う人もいるだろう。その通りだ。私は運が良かった。それは100%認める。だが、私が本格的に投資を始めた2022年も、メディアやネットでは相変わらず「株価は高すぎる」「いつかバブルが弾ける」「今から投資を始めるのは危険だ」と、大騒ぎされていたのだ。ABEMAの動画などでも、有識者たちがこぞって警鐘を鳴らしていた。断言する。この「今は危険だ」というノイズは、3年後も、5年後も、10年後も、形を変えて一生消えないだろう。
そして、私の投資人生の中で最大の試練となったのが、2024年8月の歴史的な大暴落(日本株急落)だった。それまで1年近くかけて、コツコツと積み上げてきた約100万円の含み益が、文字通り一瞬で雲散霧消した。それどころか、管理画面のプラスの数字が、一瞬にして真っ青な含み損へと反転した。ネット掲示板は文字通りの阿鼻叫喚。正直に白状しよう。私も、手放すべきか本気で、胃がキリキリするほど悩んだ。
だが、その時、画面を睨みつけながら私は自分に問いかけた。「いま恐怖に負けてすべてを売り払って投資をやめれば、もう二度と損をすることはない。しかし、投資をやめるということは、あの手取り20万で水菜の鍋を食べていた、お金のないのが当たり前だったあの頃に、自分の足で逆戻りすることを意味している。それだけは、絶対に嫌だ」
腹が固まると、急に脳が冷徹に動き始めた。暴落の理由を調べてみると、日本の「ゼロ金利脱却による金利上昇」が引き金だった。金利が上がるということは、普通に考えれば銀行が儲かるはずだ。なのに、なぜ今、みずほや三井住友といった銀行株まで一緒にパニック売りされて大暴落しているんだ? 市場全体が恐怖でバグっている。これこそが、かつてコロナ禍の無観客オリンピックで誰もが尻込みしていた不動産市場と同じ「逆張りのバーゲンセール」だと直感した私は、みずほや三井住友の銀行株を、震える手で猛然と買い増しした。
幸いにも、この時の暴落は歴史的な速度でリバウンドし、株価は急回復を遂げた。だからこそ「あの時は余裕だった」と今は言えるが、もしあのまま何ヶ月も下げ続けていたら、当時の自分が耐えきれたかどうかはわからない。今(2026年)の洗練されたメンタルなら耐えられると断言できるが、当時はそこまでの経験値はなかった。ただ一つ言える確かな事実は、私は恐怖のどん底でも「売らなかった」し、「買い向かった」ということだ。
そもそも、なぜ日本人はこれほどまでに「投資=ギャンブル=破産」と結びつけて、頑なに打席に立とうとしないのか。それは、私たちが子どもの頃から家庭や学校で刷り込まれてきた、「お金の話をするのは汚い」「身内や友だちから利益を得る行為はみっともない、悪だ」という強烈な洗脳があるからだ。
小学生の頃、100円で売られていたスライムを5つに小分けして、友達に1個30円で売ったら親に死ぬほど怒られた。80円で買ってきたカップヌードルを120円で売ったら、「みっともない真似をするな!」と激しく叱責された。ビジネスの基本である「リスクを取って仕入れ、価値を付加して利益を得る」という思考の芽を、私たちは幼少期に徹底的に摘み取られて育つのだ。
さらに、テレビドラマや『ナニワ金融道』、野島伸司脚本のドラマのようなエンタメを通じて、「株で大負けして全財産を失い、一家離散」という極端な恐怖のプロパガンダを脳に刷り込まれていく。「株=人生を狂わせる危険なギャンブル」という連携は、こうして社会的に広まっていったのだと私は考察している。
私はギャンブル業界の人間だからよく分かる。世間で言われている「投資と投機の言葉遊び」なんてすべて綺麗事の詭弁だ。嘘といっても言い過ぎではないと考えている。もちろん長期投資の勝率が高いのはデータが証明しているが、人間の有限な寿命というタイミングで切り取ってしまえば、100%勝てる保証などどこにもない。死ぬ間際に歴史的な大暴落が来たらトータルでマイナスになる可能性だってある。この世に「100%絶対に金が増える投資」なんてものは、仕組まれた『不正(イカサマ)』しかないのだ。それ以外の、未来が不確実に変動するものは、本質的にはすべてギャンブル(勝負事)の側面をはらんでいる。
だが、メディアは公営の競馬や競輪のネガティブな背景は綺麗に隠し、民営のパチンコだけを「諸悪の根源」として徹底的に叩く。容疑者の足取りや子供の置き去り事件など、パチンコ店だけが異常に強調される偏向報道をあなたも耳にしたことがあるはずだ。この偏向報道によって、大衆の脳には「ギャンブルは汚い」→「だから、お金儲けの話は汚い」→「よって、投資は汚いギャンブルと同じだ」という見事なまでの三段論法による洗脳が完成する。
かつて私の金持ちの友人(これも保険屋だったのだが笑)が、「集めた保険料を世界債券やドルコスト平均法で運用して利益を出して、それを還元してるんだ」と語ってくれた。当時の私は1ミリも理解できなかったし、単純にキャッシュが足りなくて加入を断るのが精一杯だった。だが、今の私なら冷徹な笑顔でこう返せる。「債券なら中抜きされずに自分で買うし、ドルコスト平均法ならオルカンの積立で為替リスクまでヘッジするよ。」と。人の成長とは本当に恐ろしいものだ。
洗脳に気づかず、言い訳を探して打席に立たない人間は、一生その搾取のループから抜け出せない。貧乏が一生貧乏で確定する本当の理由は、この洗脳に気づかず、自ら進んでカモの席に座り続けている、あなた自身の「無知」のせいなのだ。
第6章:結論:本当に怖いのは暴落ではない
本当に怖いのは暴落ではない。恐怖に負けて行動できなくなることだ。
もしあなたが、これから投資を始めよう、お金がない現実から抜け出そうと思うなら、私から送るロードマップは極めてシンプルだ。「投資なんて占いと一緒だ。最初は、いいところ(増えたとき)だけを見ろ」
最初はそれでいい。減っているときの方が、積立投資においては「安く多く仕込めるチャンス」なのだが、人間そんなに強くない。私だって、最初のNISAなんて楽天ポイントしか投資できなかったし、翌年(実質2ヶ月目)ですらVTI(米国全体株)に12万円を恐る恐る入れただけだ。まともに恐怖心なく投資できるようになるまで、私は丸2年かかった。初心者が最初から完璧なマインドを持てるわけがないのだ。
だから、始めようと思ったら、証券口座に移すお金は「ジュースを一ヶ月我慢したお金」のような、最悪なくなっても生活に支障のない「あぶく銭」からスタートさせることだ。少額でもいいから。減ったら確かにショックだが、増えたら最初は「ふーん」という感覚になる。ただ、この「ふーん」が、3,000円が3,010円になった時に「全然増えないじゃん」という絶対的な不満に変わる瞬間が必ず来る。その「全然増えないじゃん」と思った時に、リタイアしないで投資金額を増やすように動くこと。それが唯一のロードマップだ。
NISAをやっていない人間はみんな口を揃えて言う。「仮に100万が110万になったところで、どーすんすか?」と。この単利の狭い感覚を破壊するには、とにかく実際に少額でも口座を開いてやってみるしかない。5年やって、どうしても意味がない、やっぱり恐怖に耐えられないと思ったら、その時にスッパリ辞めればいい。その時にあなたがまだ、ぼったくりの養老保険や金利ゼロの貯金にしがみついていたとしても、そういう真面目な搾取される人間のおかげで保険会社や銀行は今日も絶好調なのだから、「世界の経済を支えてくれてありがとう」と世界に感謝して人生を終えればいい。
これからも相場は上がるだろうし、下がるだろう。また誰もが絶望するような大暴落も来ると思う。それでも私は投資を続ける。
私たち氷河期世代は、もっと大きな不安の中を生きてきた。就職がない。給料が上がらない。会社が突然なくなる。未来が見えない。そんな暗闇の時代を、私たちは歯を食いしばって生き抜いてきたはずだ。
画面の中の数パーセントの数字の上下に、今さら怯えてどうする。「今が一番高いかもしれない」という、頭の中の幽霊に負けて足を止めるな。
氷河期世代として生きてきたからこそ。
氷のように冷静に、そして粘り強く。
私たちは、自分の手で自らの未来を勝ち取るために、とっとと打席に立ち、目標に向かって歩いていこうと思う。
蛇足だがもし仮に貧乏の道を歩むことになったとしても幸せの形はたくさんあることだけはわすれないでほしい。
長文にお付き合い頂きありがとうございました。

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