【氷河期の闇】「お前の代わりはいくらでもいる」そう言って人をドブに捨て続けた会社を襲う因果応報

「氷河期の闇」「お前の代わりはいくらでもいる。そう言って人をドブに捨て続けた会社を襲う因果応報」という文字が大きく書かれた、雷が鳴り響く夜のブラック企業と頭を抱えて絶望する男性社員たち、そして不敵に微笑むツインテールの女性会社員が描かれたブログのアイキャッチ画像 雑記

「面接と呈した侮辱」

面接と呈した侮辱 1コマ目
面接と呈した侮辱 2コマ目
面接と呈した侮辱 3コマ目
面接と呈した侮辱 4コマ目

第1回では、就職氷河期世代の「普通に暮らせているマジョリティ(多数派)」の実態と、その裏にある就活トラウマが引き起こす社内の膠着状態についてお話ししました。

運よく正社員になれた7割の人間も、時給532.5円、月300時間以上労働という、今なら一発でアウトな黒い沼を生き抜いてきた生存者です。なぜ当時、これほどまでに狂った労働環境が日本中で放置され、当たり前のようにまかり通っていたのか。

それは、当時の経営陣や上層部の口から、挨拶代わりに発せられていた「あの言葉」がすべてを物語っています。

「嫌なら辞めろ。お前の代わりなんて、いくらでもいるんだから」

今回は、のちに私自身が子会社の管理職として採用の現場に立ち、「使う側の論理」と「使われる側の地獄」の両方を目撃してきたからこそ言える、企業が人材を“資産”ではなく“ドブに捨てる消耗品”として扱っていた時代の闇を告発します。

1. 「人材=投資対象」ではなく「人材=ただのコスト」だった時代

2000年代、圧倒的な買い手市場に甘えきった企業の上層部は、完全に感覚が麻痺していました。彼らにとって、社員とは「大切に育てるべき経営資源(資産)」ではなく、「利益を削るだけのただの変動コスト(消耗品)」でしかなかったのです。

当時、私が子会社の管理職として突きつけられていた採用のリアルな裏側を明かします。

📊 表2:管理職の私が目撃した、雇用形態ごとの「企業の割り切り」

雇用形態 企業が求めていた「本音の役割」 実際の現場での扱い
正社員(若手) イレギュラー対応と定常業務を限界まで回す「馬力」 給料(年収350万程度)は据え置きで、月300時間以上使い潰す
非正規(派遣) 産休中社員の穴埋め。1年経ったらリセットする「パーツ」 スキルが身につかない単純作業だけをやらせ、満期が来たら自動的に「放流」

私のいた子会社での派遣雇用の目的は、ほぼ100%が「産休に入った社員の穴埋め」でした。期間はきっかり1年。企業側としては、最初から「1年後に捨てるパーツ」として募集をかけているわけですから、その人にスキルを身につけさせようとか、キャリアを支援しようという気は1ミリもありません。求めるのは「エクセル表の更新」と「テンキーを叩くこと」だけ。

ここに「VBAが組める」「SQLを理解している」といった、現代なら即戦力として高待遇で迎えられるような、バグレベルに優秀な人材が応募してきても、企業はそれを拒絶しました。「変に詳しくて業務の非効率さを指摘してくる奴より、何も知らずにただ指示通りに動き、おじさん社員の雑談相手になってくれる人の方が都合が良い」という、絶望的なまでの「低スペック最適化」が行われていたのです。

「お前の代わりはいくらでもいる」という言葉は、個人のスキルや人間性を完全に無視し、誰でも換えがきく部品として人間を配置する、冷徹な経営戦略そのものでした。

2. 綺麗事なしの現場:モンスターが非正規の立場をさらに悪くした

しかし、ここで一つ、よくあるメディアの「非正規=100%可哀想な被害者」という綺麗事のナラティブに対しても、管理職としての視点から一石を投じなければなりません。

現場で人を管理していた私にとって、救えなかったのは「真面目に頑張ってくれている派遣の人たち」の扱いが、正社員と明確に分断されていたことです。そしてその分断をさらに加速させていたのは、非正規の中に一定数存在した「モンスター」たちの理不尽な主張でした。

特に強烈だったのが、ある田園都市線を使って通勤していた派遣女性の「遅刻正当化」事件です。

彼女は9時始業であるにもかかわらず、「8時55分に会社の最寄り駅に着き、そこから徒歩4分で職場に到着する」という、1分の猶予もないルートを頑なに崩さない人でした。当然、朝の電車なんてほぼ毎日多少は遅れます。そのため、彼女はほぼ毎日、悪びれもせず遅延証明書を出して遅刻してくるのです。月に1回定時に来れば良い方でした。

さすがに「始業に間に合うように、もう少し余裕を持って動いてほしい」と注意したところ、返ってきたのは信じられないロジックでした。
「電車が遅れるのが悪いんです。私はちゃんとルート通りに来ている。定時を私に押し付けないでください」

呆れて派遣会社に相談するも、「法律上、遅延証明書がある以上は受け入れるしかない。文句があるなら次の3ヶ月更新を止めればいい」と丸投げ。あまりに腹が立ったので、当時世間で得意げに叫ばれ始めていた「同一労働同一賃金」の話を出して、こう嫌みを言ってやった記憶があります。

「うちの正社員はね、遅刻がないようにある程度バッファ(余裕)を持って動いている。お宅の派遣さんはその限りでないというなら、仕事面以外の『勤怠面』において、同一労働同一賃金の前提を満たしていないのでは?」

現場でこうしたトラブルに時間を追われると、管理職の本音として「やっぱり非正規は責任感がない、正社員と明確に分けて管理しなければ現場が崩壊する」とならざるを得ませんでした。一部のモンスターのせいで、真面目に誠実に頑張っていた大多数の派遣さんの立場まで悪くしてしまった。これが綺麗事だけでは語れない現場の歪みでした。

3. 最年少管理職が払った犠牲と、本社の「保身の管理」

そんな泥沼の現場で、私は子会社最年少で管理職に就任しました。当時、私が生き残るために使ったテクニックは、ある意味で「狂気的な自己犠牲」でした。

「部下の不満を抑え、日々の定常業務を回してもらう」それだけを考えていたため、面倒なイレギュラー対応や上からの理不尽は、すべて私一人が盾となって引き受ける。その代わり、部下は全員きっかり定時に帰らせる。実際、私の部下の年間残業時間は、平均して「12時間未満」でした。月ではなく、年間です。

しかし、去年の転籍をきっかけに本社へ移動となり、そこで待っていたのは「役職を一個ダウンさせる」という理不尽な降格と、給料の引き下げでした。

そして本社に行って痛感したのは、本社の管理職と子会社の管理職の、圧倒的な「質の割り切り」の違いです。

  • 子会社の管理職:少ないリソースの中で、いかに工夫して「現場をうまく回すか」を目的とした管理。
  • 本社の管理職:社内政治に目を光らせ、いかにミスをせず「自分の立場と席を守るか」を目的とした保身の管理。

親子会社で、労働時間という「時間(命)」を削って会社に尽くしてきた犠牲の量は何も変わりません。それなのに、サバイバルを生き抜いた者同士であるはずの本社管理職から要請されたのは、「子会社の現場が困るからやめてくれ」と懇願したにもかかわらず、本社の都合だけで子会社の優秀な人間を強引に引き抜くという、あまりにも理不尽な内製化でした。

この時、私の心の中で、長年続いていた会社への従順な洗脳が、静かに音を立てて崩れ始めました。

4. 現在、企業を襲う「深刻な人手不足」という最大の因果応報

「お前の代わりはいくらでもいる」

そうやって若者を買い叩き、非正規をパーツとして放流し、子会社の人間をトナーのインクのように使い潰してきた日本の企業は今、歴史上最大の「因果応報(ブーメラン)」に直面しています。それが、現在の日本のあらゆる業界を襲っている「深刻な人手不足」です。

📊 表3:人を使い捨て続けた企業に返ってきた「世代別のツケ」

世代 当時(過去)の企業の行動 現在企業に返ってきている「ツケ」
氷河期世代(40代〜50代) 「代わりはいくらでもいる」と育成を放棄し、雑に扱った トラウマから会社にしがみつく「膠着社員」が激増。中堅マネジメント層がスカスカに。
Z世代・若手(現在の20代) 人が足りないため「新卒初任給30万」で必死に釣ろうとする 大金を払っても優秀な層が集まらない。大切に育てられたため、少しの理不尽で即離職。

今の採用現場は完全にバブル状態です。新卒の初任給を30万円に引き上げなければ、まともな学生がエントリーすらしてくれない。しかし、当時の私たちが培ったような圧倒的なメンタルも、実戦経験も、今の30万の新卒にはありません。いくら大金を積んでも、即戦力にはならないのです。

その一方で、企業は「50代の氷河期世代はいらない」と、今でも平気でのたまう。当時、企業が人を育てることを放棄し、使い潰してきたせいで、企業を引っ張るべき「真に優秀なマネジメント層」は圧倒的に不足しています。

残った氷河期世代も、過去の就活トラウマから「絶対に辞めずにしがみつく」という自己防衛モードに入っているため、本社の業務クオリティは落ちる一方。結果として、私のように「一部のちょっと仕事ができるやつ」にすべてのシワ寄せがいき、パンクしていく。

企業が過去に放った言葉は、20年以上の時を経て、「お前の会社の代わりなんて、いくらでもいる」という若者からの拒絶となって、自業自得の悲鳴として企業の首を絞め続けているのです。

📢 第2回のまとめ

理不尽な降格を味わい、本社の保身管理を目の当たりにした私は、管理職という立場から外れたことで、ようやくこの狂ったシステムを一歩引いて客観視できるようになりました。

「組織のために、管理職のあの人が困るから、自分が泥を被って頑張ってあげなきゃ」

降格された今ですら、私の脳にはそんな氷河期特有の「自己犠牲の洗脳」が染み付いています。それほど、あの時代が私たちに植え付けた呪縛は深いのです。

では、この狂った構造の歴史を知った上で、私たちはこれからどう生きていくべきなのか?もし、あの20代の激動の時代に戻れるとしたら、一体どんな選択をすべきだったのか?

次回、最終回となる【第3回:解決編】もしあの激動の時代に戻れるなら。今だからわかる「狂った構造」を生き抜くための答え合わせでは、会社に人生の主導権を渡さないための、本当の「キャリア防衛策」と、私が現在進行形で進めている「リベンジ戦略」について、当事者の結論をお届けします。

(第3回へ続く)

※第1回【実態編】をまだお読みでない方は、先にそちらをご覧いただくと、当時の社会構造の歪みがより深く理解できます。

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